*「行き当たりばったり石巡り記」

gakakado2008-08-13

・・母の体調が安定している間に信州〜尾瀬をひとっ走りと思い立ち深夜の高速道路へ。(予算上、軽自動車・車内泊とスル)


尾瀬ヶ原尾瀬沼へ行く途中の休憩時⇒


・・信州4回訪。
以前の私なら燧ケ岳や浅間山を目指しただろう。
1日目・・・川中島古戦場跡 ⇒ 善光寺 ⇒ 小布施 ⇒ 志賀高原(硫黄臭の溶岩台地の岩稜や樹木が美しい!)
⇒ 草津温泉(湯畑)


2日目・・・真夏の日差しの中、尾瀬ヶ原、高層湿原の木道を外れ三条ヶ滝へ。
普段から口は滑る、話も滑る私は、今日は足さえ滑らなければ万事良しの日(7H山行)
夕食後、至仏山・燧ケ岳を背景に誰も居ない薄闇の中、木道に寝転がってみた。(週末を避けて運よく空室があり山小屋泊)


3日目・・・尾瀬ヶ原 ⇒ 尾瀬沼へ。
蛇紋岩地質の山は植物が育ちにくい条件下とあるが、ニッコウキスゲ・、ワタスゲもまだ所々、コバギボウシサワギキョウミヤマアキノキリンソウなど秋に移ろいつつある。
心身の鍛錬とは無縁の日々、連日の厳しい暑さに休憩を多く取った為、山行時間は7時間弱。
長年使ったトレッキングシューズのソールが経年劣化し今秋購入しよう。
途中、50年愛用の帽子を(退色具合とかけつぎがすばらしい)被っているご夫妻とお会いした。


4日目・・・早朝、男体山の麓、中禅寺湖華厳の滝 ⇒ 戦場ヶ原 ⇒ 日光東照宮
天下人の廟所は207の一枚岩の石段・石垣・石道・石彫の名石配置の妙奥。造営時は石工を始め名工達延べ人数五百万人ともという。
本殿と拝殿をつなぐ「石の間」は床修復中で名称由来、床下に御影石が敷かれている所が見えた。


5日目・・・軽井沢(石の教会) ⇒ 小諸城址(城下町より低い穴城で野面積石垣)には山本勘介が愛用したと伝えられる「鏡石」、城主が通るたびに鳴き声を立てたという「うぐいす石」


6日目・・・AM3時自宅着。走行距離1600キロメートル(3美術館入館)


・・『金沢映画祭2008フィルマゲドン』9月中旬開催とある。 フィルム+アルマゲドンを意味する造語という。
                   (「頭腐」sama情報から検索)
「・・・映画に描かれている世界の数知れぬ矛盾や悲劇は我々の意に沿わない、目を背けたいと・・。どうしようもない厳然たる事実、仕方のない現実・・・」

ドキュメンタリーなど選りすぐり、直視できないシーンが多いと予想できるが表現者やそこに集う人々のメッセージなどいつか現地で掴んでみたい。
言い切れば、生物が生きるとは淘汰(自然・人為)との闘いなのだろう、人間は備わった様々な錯覚によって希望と絶望を創る。


・・内省の学問と言われている民俗学書には石にまつわる話に事欠かない。
私にとって「石・岩」が聖物というのではないが、アンデルセン『旅することは生きることだ』私は『徘徊することは生きることだ』と心身疲弊すると現実逃避、石を巡りウロウロしウロたえて楽天性を演出しているゾ。