赤石よ!

私の親戚宅の泉水は人工ではなく、古生代の海底の形状をそのまま活かしたものであり、海底地層学によると、一万年前は裏山の高さより、69メートル〜84メートルの高さまで海水があり魚が群れていたであろうという。
私には真実かどうかはわからない。


鎌倉時代からといわれている先祖の五重の石塔がある。
そしてそこには、この地に産するはずのない石容の赤石がある。
江戸時代よりこの地に廻船が、鰊、昆布、米、塩などを積み上がり、積み下がり寄港した。
北前船は田舎船を蔑んだ俗称であったとか。
荷物を積む「ドウノマ」は船底だが、船表にまで山のように荷物を積み、きっ水スレスレで蝦夷地へ向かったか。
港で荷を売り船底が軽くなると平衡がとれず、水主(カコ:漕ぎ手)たちの生命にかかわり転覆を防ぐ為に寄港先々で石の積み下ろしが繰り返されたというが、その時のバランス石だろうか!?


曽曽曾祖父時代からこの場所にこの赤石はあったのであろうか!?
「雨風にまげる、その夜のその身のつらさ。もうやめますわの船乗りを」と13歳の炊(カシキ)や表たちも歌いながら生涯を水主に賭けた男達がこの赤石を奉納したものかと興味深く思い、日本海の「北前船」関係のあるところにいくつか立ち寄ったが探求もせずにそのままうっちゃっておりまする〜。


私を惹きつけてやまない赤石よ〜!!