「屈原」

月に1回の「篆刻教室」で漢詩が話題になり私は過去に「屈原」の孤独感と自身を重ね関心を持ったことを想いだした。


その後も書店でタイトルに「屈原」が目に飛び込んでくると関する書物を折々に購入や図書館で借りたこともあるにはあったが深めることもなく・・・・・。
自我の探求をと思いつつも結局はカンタン!オモシロイ!へと。


以前にNHKテレビ早朝の「漢詩紀行」視聴していたこともあったが、韻調の美しさも鈍磨ゆえわからず、漢詩を鑑賞するより「作者」を読もうとする傾向だけであった。


そういえば、「屈原」も「石」が関ってくると今更に思いだす・・・・。


現在、とある「根っこ」を表現したいと思っているが「屈原」に惹かれた頃の感受性が全く失われてもおり(アッタリマエマエだが)さらには ワンアクションもこなせなくなっているデハナイカ!!

コントのネタのような「認知症」レベルがしのびィよるゥ現在「屈原」を再読するとどう読むぞ。