「明恵上人20行雑記」

4月末に行った、京都国立博物館『大絵巻展』では『鳥獣人物戯画』も展示されていた。


若い頃、明恵上人に惹かれ、京都の高山寺に行った時は「鳥獣人物戯画」は複製だったが、その頃は明恵上人への想いにかられ。

苅藻島などで拾ってきた小さな石2つを大切にしていた明恵上人の生誕地、和歌山県金屋町や湯浅の地に行ってみたいと思いつつも未だ・・・。


博物館に隣接する「豊国神社(秀吉を祀ってある)」の石垣は大阪城ほどではないが、いつ見ても見事な石垣であると。

又、万葉集「ももしきの宮・・・・・」の「ももしき」とは、多くの石を敷き詰めた宮の意とのことだが、古今東西、美術品や文化財建造物の背後には数多の悲劇歴史アリ、とそれらを見るにつけ「権力者」と人間心理のメカニズムの普遍性を様々にDNA『戦&闘」片をはめ込み心巡らせてしまう。

世界の四大博物館の一つといわれる、台湾の故宮博物院は中国から没収されてしまうとの危惧から他国へ貸し出ししないと聞いているが、無知蒙昧で喜劇的な悲劇的習性の愚民とくくられる私自身は賢人たちに希望を託しているのだが、世界の叡智が集っても未だと・・・やはり人間とは悲しいものなのかと、悲劇のなかの喜劇を感じてしまう。


私は明恵上人や尾崎方哉同様、何の加工もしていない美醜を超えた「岩石」にただただ惹かれる。

方哉同様「石は生きている」と。
私にとって「岩石」はあらゆる生物(精神)の塊だと。