*苅藻島
清僧といわれる明恵上人(平安時代)の高潔さを憧憬し若い頃、京都、高山寺に行った事がある。
明恵上人修行の地、和歌山県有田郡湯浅の苅藻島や鷹島で見つけた「小石」2つを終生傍らに置いていたといい、高山時に現存することもあり、行ってみたいとは思っていた。
入院中の親族が3人もいる現在、思いついたが吉日、いつものように勝手な思い込み、思いつきから、
走行時間2時間だぁ、決行〜!!
途中、紀三井寺へ。
境内に青石垣表情(緑泥片岩)が古木にも似て、雨上がりで更に趣きを深くしている。
湯浅港では、平安時代の石垣積みの「中波止」遺構があり、平安時代の活気ある人々の喧騒をイメージした。
釣り客が少なき時間帯に客は私一人、オレンジ色救命胴衣を着け「釣り渡船」に乗り苅藻島へ。
十分後無人島「苅藻島」着。
親切なお人柄の船頭さんに1時間後に迎えに来て頂くことにし、小さな小さな無人島だけど、たった一人きりダゾ〜ッ!とワクワクしながら、岩礁に降り立つと、淡紅紫色のハマエンドウの花を見つけ、マンネングサ、ツメクサなど岩上にある植物にはいつも心を動かされることが多いことを感じつつ、20歩程登り、インド洋に渡りたいと願望あった明恵上人座像の前へ。
近年作られたと思われる明恵上人坐像より、ツユクサ、エノコログサ、ハマナデシコ咲く道を五、六分も歩けば島端の明恵上人遥拝所碑へ。
海岸で明恵上人のように「小石」を見つけようと探したが、方解石類の鉱脈が美し大岩々はあるが、ガレ少々、明恵上人が苅藻島で見つけたという『蘇婆石』と名づけられた丸みある「小石」は全く見つからなかった。
引き潮で岩礁には、たくさんのフジツボ、カメノテ、タマキビなどなどの生き物が。
海は生命の起源といわれているが、一人無人島の(短時間といえども)潮だまりで心遊ばせる至福を感じた。
苅藻島から眺めた紀州の山の稜線や海はとても穏やかで優しく、又、施無畏寺裏の磐座から望む鷹島、苅藻島は青蒼と霞のコントラスト美を私は故郷の日本海と重ね相違を感じた。
帰路、運転中にハタとハタと気づいた。
親切な渡船頭さんだっただけに、「鷹島と苅藻島で小石が見れる場所はありますか、そこで降ろしてくださいと」お尋ねし、希望を言うだけ言えばよかった・・・。
短絡思考型の私は念願の苅藻島に来た!!というだけで気分が高揚しアトノマツリ。
次機会は鷹島を目指そうゾ〜!!