*「徘徊二題」

①『大台ケ原』

随分以前に、日出ヶ岳主峰の「大台ケ原」行きを計画したが、落石通行禁止で断念したことがあった。


この度、日本一年間雨量の台高山脈「大台が原」へ。
ツタウルシが紅葉しており、多雨地帯の植生相違、ミヤコザサ、ブナ・トウヒの原生林、倒木群、枯木立、古い切り株の多様な表情が美しく、正木ヶ原などにハイカーが多いというのも頷けた。

岩稜を進むと、大蛇ぐらの断崖絶壁の鎖場が圧巻。
若い頃は鎖場が面白いと積極的にスリルを求めたのに加齢に従い足がすくみだし、ハイキングレベルが丁度よくなった。
私のようなハイカーも大台ケ原衰退の一因だが、保全、共生についての取り組みがなされていた。


2億5千年前という、砂岩・チャートの不動窟や採薬師など古人の足跡や吉野熊野国立公園雄大さを知り四季折々すばらしい地であることを再認識。



②『小浜市

母の体調良く、車椅子を載せて思いつきで一路、小浜市へと。
小浜湾周遊後、夕着、予約ナシであったが、湾前のホテルに宿をとった。
夕食は近くの食事処へ。
魚介類新鮮!!良心的価格と、母を気遣ってくださる女性オーナーに感謝し、遠くても時々このお店で魚介類を堪能したいと思うほど。

すると、そこにTVでお見掛けする伝承料理研究家O氏や国立M館前館長のI氏が会食されているや、そのオーナーと、姉の知人と知人であったなどなど世間は狭いゾ〜面白いゾ〜と。


母は今、トイレに行ったことも忘れること多く、口癖になっているほど、「便意尿意」を言い、コントネタのようにトイレに何度も引き返すことが多い。

洋式トイレがなき時、和式トイレでは体重60キロある母を車椅子よりおろし、便器の前の水道管を壊さんばかりに力いっぱい握り踏ん張っている母とそれを背後から支えている私の姿を思い出し、今でも笑いがこみあげてくる。

それはテレビである歌手がトイレの水道管を持ち力みすぎのせいか、水道管外れて服がビショヌレになった事を話のタネにしていて、私も母の水道管が外れ、母の驚く顔を想像すると笑いがこみ上げてくるのだ。
やはり、関西在住17年、何でも笑いにする関西人なりつつあるのか!?