*「石と狂」

gakakado2008-05-30

・・庭の「どくだみ」の白十字花が咲き、「枇杷」の実は緑色の膨らみ。
 机上には野原の「ひめじょおん」が挿してある。

        庭の草花勢力が年々変化し、群生していた「白立浪草」も寂しげ⇒


■・・・自身の狂と人間狂(狂のTruth・真実の狂)に興味を抱き続け「狂」の文字を見つけると狂おしく感応してしまう。
  自身の常・・社会の常・・世界の常・・・に適応しなければという自身の様々の狂に気づく。
  こうしてのパソコン操作は人間狂態か。


・■・・今中旬、是非観ておかなければと、京都国立博物館河鍋暁斎展』最終日に行った。
 「河鍋暁斎」(1831〜89)は七歳で歌川国芳に弟子入り、後、狩野家で徹底した絵画研鑽、明治維新期、「狂斎」と名乗って諷刺画を描く。

 明治3年、諷刺画が官憲に咎められ投獄され、「狂」を「暁」に改め「暁斎」と号するようになったとある。
 豪放磊落な物から繊細・精緻な作品まで多種多様、自在な発想、図抜けた見事な見事な技巧。
 国内評価が海外ほどでもないというのは、天の配剤、多才ゆえか、描くことが面白くてたまらない画風ゆえか、反骨精神ゆえか!?

 図録に、「絶筆は口も聞けない状態にありながら、自分が嘔吐し、それを見た医者が驚いてひっくり返る図であったとか。最後まで自己を見つめる客観性・茶化しの精神は失われなかったようである」とある。


 私の係累宅に文人でもあったという曾曾祖父の代頃、狂歌の大田蜀山人が一時、逗留し描いた襖絵があり、又、若冲も来たのではないか!?と「鶏画」が、蕪村も!?「俳画」遺されている。
 人間狂態も凝視した作者たち。


・●・・私は石に心惹かれているとはいえ、折々に小石を拾い、海・山で岩からの放射を受けての”岩浴”だけで満足してしまう。
 「愛石・石友・賞石・友石・名石・美石・奇石・駄石・探石・揚石」の表現を用いるほどには到らず。


『石はもっとも簡潔にして理性的な存在である』
           byユング