『弁慶石町ウロウロ』

gakakado2014-12-05

●■●・・・京都『弁慶石町』徘徊後、磐石の存在 『錦小路:有次』にて銅製品購入。

   
        『弁慶石』(弁慶石町)→


■●■・・・【本】


 (1)・・『碁を打つ女』 シャン・サ著・・北京生まれ詩人の仏語作品訳・・心の領域深く。


 (2)・・『化石少女』 麻耶雄嵩著・・高校の古生物部が舞台。


 (3)・・『たたり岩』 佐々木裕著・・江戸中期の備後、三次の里。


 (4)・・『地層捜査』 佐々木譲著・・市谷・新宿地理が浮上する筆致。


 (5)・・『ブライトン・ロック』グレアム・グリーン著・・BrightonRock(棒状飴、タイトル文字の金太郎飴)


 (6)・・『ヤマザキ マリ展』(阪急百貨店本店)


 コミックから知が降り注ぐ著者へのデッサン力などの関心歓心から『テルマエ・ロマエ』・・石工の彫刻家・・『スティーブ・ジョブズ』他、エッセイなど5冊購読。

 『大プリニウス』(ベスヴィオス火山を見に行き亡くなったというプリニウス大帝)に関心湧く。 


 他、長編『故郷の岩屋』(ジーン・アウル著)・『化石の荒野』(西村寿行著)・『石の血脈』(半村良著)は時間がとれず未読、図書館に返却


●■●・・・【劇場で観た映画】


  (1)・・『トム・アット・ザ・ファーム』 25歳グサヴィエ・トラン監督・脚本・編集・衣装・主演とあり、人間の困難=いとも簡単、不知不識裡に陥る支配・被支配者関係。


 (2)・・『リスボンに誘われて』レジスタンス⇔著者を辿る旅。


 (3)・・『ローマの教室で〜我らの佳き日々〜』 原題は鉛筆の『赤と青』だと。


■●■・・・『幼なじみ再会までのオドロ記』


  私が9歳時、幼馴染Kは列車で1時間の県境市S町に転校して行った。
 それから、十年後、私は列車に乗り遇わせた隣席の方が偶然にもK宅と知人関係という道中会話になったこと・・。

 
 その後、何度かKの消息を図書館の全国電話帳からS町登録者をアバウト抽出しお尋ねするが、A市転居までの詳細不明まま年月が過ぎ・・今年、念いが募り、列車で2時間半のS町降車、転居先調査開始。


 すると、初対面の私に出会う方、出逢う方、想いもかけない御心遣い、労を惜しまず、親切・丁寧なるご尽力、更には茶菓子の接待・干物のお土産まで頂戴するという方々に、大恐縮・至福の一日。

 後日、当時のA市転居先報を頂戴した。


 そして、当該住所を電話番号案内サービスから検索すると、同番地ではないが届出番号が1軒あり(町名変更があったかも知れぬと)逸る心で「Kさんご在宅でしょうか?」とお尋ねすると「Kは死にました」と電話が切れた。
 気になり、再電話するも繋がらず。


 翌日、私はご供物と共に、3時間近く、初最寄り駅、列車・バスを乗り継ぎK宅訪。
 Kのパートナーと思われる車椅子の方と介護ヘルパーさんに突然訪の非礼を詫びながら幼馴染であることをお伝えすると、ここでも思いもかけず、初対面の私を、快くお部屋にお通し下さった。


 私は仏間のお位牌に合掌後、再度、御遺影を拝見すると、9歳時とはいえ、記憶内にある、KとKのお母様とは随分印象が違う・・・「パートナーのお名前はKさんですか?」お尋ねするも肯き「Kです」と。


 ヘルパーさんがお尋ねしても「K」といわれ、次にご家族に確認のお電話して判明したことはKとは別名であったこと・・・。


 ヘルパーさんによると脳梗塞の後遺症により、若くして亡くなられたパートナーのお名前の記憶が薄れ、私の「Kさんご在宅?」の問いにオウム返しに「Kは死にました」とおっしゃられたのだろうと。


 少し発語がご不自由な中、お若い頃のお話などして下さり、和やかなひととき、突然の来訪と、大いなる勘違いへの深いお詫びと御礼を申し上げ辞去。


 徒歩、数分の同姓K宅を何人かの方々にお尋ねしながら、ついに、つい〜にKと再会。
 Kは母親の再婚によるS町転居であったいい、お互い寄る辺ない事情や遭遇の多くを語らずとも、やはり「幼なじみ」!!
  旧交を温め帰途につく。


 私は思春期に遭った教師不信が社会適応の妨げになっていると思うことがしばしばあり、今回の幼なじみ再会を巡ってご縁を戴いた方々から(バスドライバーの方からも)囲炉裏で語らう安堵感・・・。


 最近、ますます、長考できず、多動で不安を薄め、弱めている私の精神にKとの再会過程が少し変化をもたらしてくれたような気がする。


 ライフワーク??再開??私の無知無能には変化なし!!

  先日、御礼行脚も兼ねて、故郷県内のS町を再訪。